方言と社会性の関係
方言と社会性の関係
言語とは自分の日常に住んでいる
社会とのコミュニケーションの手段だから
社会の中で言語を学び
周りの人がしゃべる言語を会得するのが
普通の人間
そうであるならば
住んでいる地域の方言を
子供時代から 学んでいくのが普通の人間・・・
それゆえ、言語は社会性を持つとも言える
しかし自閉症の人は
社会との接触を自ら断とうとするから
むしろ自分の興味のあるテレビを見ることや書籍を読むことなどだけで
言語を学び
それ故に方言を覚えずに
テレビや書籍の標準語だけを
会得してしまうのかもしれない
また英語を極端なまでに習得してしまうのも
社会性のないまま
興味のあるテレビの中や 書籍から
恐ろしいほどの集中力で
日常の言葉ではない外国語を会得してしまうことも
あるのかもしれない・・・
「自閉症は津軽弁を話さない」この謎に挑んだ心理学者が痛感したこと
https://news.yahoo.co.jp/articles/0960757c17deda48910c476937ed4ceb5afde8a5?page=2
方言主流社会の子どもは、家族が日常的に使い自らにも話しかけてくる方言と、テレビやDVDなどメディアから流れてくる共通語という2つのことばに曝されています。 そうであれば①定型発達はどのように周囲のことばを獲得するのか、②自閉症が周囲のことばを獲得できない理由はなにか、③自閉症はどのように共通語を獲得するか。 これに答えれば、自閉症は方言を話さないという謎を説いたことになるかもしれません。 まず、「定型発達児が家族の真似もテレビ・映画のキャラクター真似も可能であるのに対して、自閉症児では家族の真似は困難だがテレビ・映画のキャラクターの真似は可能」という現象に着目しました。 定型発達児は、周囲の人々と注意を共有し意図を理解したうえで模倣します。さらに、人の特徴を捉えてその人らしい身ぶりや言葉遣いを真似する自己化という過程を通してことばやことば遣いを身につけていきます。 しかし、共同注意・意図理解・自己化が苦手な自閉症児は周囲の人々のことばを身につけることがむずかしくなります。代わりに幾度も再生視聴できるDVD等のメディアや組織的学習場面で意図の理解は不十分なままに場面とことばをパターンとして結びつけてしまうのかもしれません。 そう考えていたところ、関西にお住まいの方から「私の息子がそうです。家族全員が方言を話しているのに、彼だけが共通語を話しています」との連絡がありました。
お母さんの育児日記にはことばの発達の様子が実に詳細に記されていました。幼児期にことばの遅れを指摘されましたが、テレビやDVDの模倣が出るようになりました。そのうちDVDのセリフを現実場面でアレンジして使うようになり、次第にどのDVDからの流用かはわからなくなり、コミュニケーションにはぎこちなさを抱えながらも家族との会話も成り立つようになりました。 ただし、お母さんの印象は「(DVDなどの)記憶のストックの中から一瞬にして引き出している」という感じだそうです。この方の事例は、これまでの解釈と一致しそうでした。私は『自閉症は津軽弁を話さない 自閉スペクトラム症のことばの謎を読み解く』(福村出版)にまとめました。そして、このたび角川ソフィア文庫で出版することになりました。
【実録 東京人vs関西人】上京した関西人は愛してやまない「関西弁」を、あえて東京でも使い続けるべきか
https://news.yahoo.co.jp/articles/a1cc246af1b0ec67a1f06217f6e43d1d2667fa91?page=2
難しくいうと、標準語しか話さない人は、「話す言葉」も「書く言葉」=標準語という言語パッケージが装備されています。一方で関西人は、「話す言葉」=関西弁、「書く言葉」=標準語というような構造になっているので、話し言葉の視点でよりリアルに現実を捉えることができるのかもしれません。
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